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「何故、今ガンダムなのか?エピソード3」


今回は、遂に~赤い彗星~シャアの登場です。

シャアに関しましては、様々な方が紹介をされていますので、リアルガンダム世代の私なりに感じてきたシャア・アズナブルについて、お話しさせて頂きたいと思います。


ガンダム自体、アニメ意外にも小説がありますのでアニメーションとは違うストーリーもあるのですがあくまで、皆さんがご存知のテレビ・劇場版での話しとさせて頂きます。

ガンダムとは以前にもお話しさせて頂いた通り、モビルスーツが戦い舞台、地球や宇宙であったりしますが、その主人公は天才パイロット、ニュータイプ「アムロ・レイ」です。

シャア・アズナブルとは、敵軍(ジオン軍)の将となるわけですがアニメーション史上、最も孤高かつ強烈なカリスマ性と生きざまを持つキャラクターであったと思います。

ガンダムより以前の作品ですと、「あしたのジョー」の力石徹等が強烈なキャラクター人物としていましたが、やはりシャア程のカリスマ性はないと感じます。


彼のイメージは、至って冷静と言う印象がありますが、当時の日本サンライズは、このセカンドの立ち位置を最初から意図的に企画していたと言う点も興味深いものがあります。


現在でも、このキャラクターの人気は凄まじいものがあり、その人気を持つ要因の一つとしては「セリフの持つちから」が非常に強いと感じます。

彼の有名な言葉は色々ありますよね。



セリフにてついては触れられている方が沢山いらっしゃいますので、今回触れさせて頂きたいのは彼の内に秘めた本質です。


幼い時にザビ家に両親を殺害され、その復讐に向け着々と準備をしていった事は間違いないのですが、わざわざ自身の希望からジオンの私兵学校に入隊までしています。


キャスバル・ダイクンと言う名前を捨ててまで来た彼の人生は「何を求めていたのか?」というものが常に付きまといます。

初代ガンダムでは、持ち前の頭脳と腕にて見事、少尉から大佐までかけ上がったシャア。

アムロ・レイという常に成長し続ける若者(進化し続けるニュータイプ)を前に、最終的には追いやられてしまう形を遂げてしまいのですが、前半の冷酷かつ冷静さは後半にかけて若干失いつつ、ある種迷いや戸惑いを見せる場面がいくつも出てきます。

劇場映画「めぐりあい宇宙」では、自身にニュータイプの資質があるか、またアムロ・レイに対抗できるか?をララアに問いただしているシーンさえありました。 また「逆襲のシャア」では、アムロ・レイとの決着を付ける方向であるものの、シャア自身の考えがより鮮明に描かれ、新たな政治を望みつつも一方では悲しみを背負う宿命が宿ったものとなっています。


シャアとて人間。



当初の目的、復讐そのものからララアと女性と出会う様になってからは、癒しや安らぎを求めるようになっていたのが特に印象的です。

また同期のガルマ・ザビには親しくはしていたものの、最終的に打倒ザビ家を胸にかざしていたシャアはガルマには容赦なく決行していました。


もし、人が過去に本当に何かでつらい経験があったとしき。結果として、後にそれらを芯から受け入れられる人とそうでない人に分かれてしまうと思います。


むしろ、簡単には受け入れられないのが人の性質にはあります。


このシャアの様な生い立ちであった場合、ましてや戦争中ですから何が正しく、何が正しいのか分からないと考えさせられますね。

特に幼い時に両親を亡してしまったのなら、その悲しむは計りしれないでしょう。

戦争とは、そもそも勝った方が正義となるもの。

監督の富野氏は、ガンダムのモチーフとしている第二次世界大戦は「無謀過ぎる日本軍の、軍艦や戦争が好きな奴らが始めた戦争である」と、その人の愚かさをガンダムには落とし込んでいると苦言されています。

本来はそうでない人間であっても、そうならざる得ない場合があるのだと、シャアに関しては常にそう感じてしまうのです。


ガンダム劇場版ラストガンダム「めぐりあい宇宙」では、地球連邦軍とジオン軍は結果しては和平を結んでいますがシャアの目的であったザビ家への制裁は、あの時点で完了していたはずでなのです。


シャア自身は、ザビ家を完全に叩きのめした後であっても彼が使う言葉はあくまで「復讐」ではなく、「粛清」でした。


粛清とは、政治内部で正すことであると思いますが、明らかにシャアはある時期から本来の打倒ザビ家を倒す前から復讐の意ではなく、粛清の意に変わって来ていた感があります。


またララアと言う最愛の女性を失ってからは、非常に悲しみ深いと思わせるセリフであったり、劇場映画「逆襲のシャア」では、アムロとケリを付ける等、また違う側面に言葉を投げています。

いつの間にか。


かつての様な赤い彗星のシャアではなく、目的は達成した時点で野望は持ちつつも実に現実的な手段をとり、かつ最後の方は燃え尽きていたようなイメージが非常に強く残っています。


シャアとアムロの遺作ともいえる「逆襲のシャア」。


ふたりは最後に宇宙の彼方へ消えたとされていますが、往年のファンの中ではどうなってしまったのか?と言う議論がよくされているようですね。


あれは、言葉にならないようなラストシーンであり、シャア自身、燃え尽きてしまった様に感じます。


「シャアの本質とは」。


やはり、非常にピュアでタフなメンタルを持ちながらも過去あまりにも失ったものが大きく、それが時として手段という形でしか、自身の思いの帳尻を合わせるしかなかったのではないでしょうか。


この信念はとてつもなく強固でありながら

あっけなく脆いもの。


ヒーローではなく、永遠の孤高。


その生きざまこそ、本質であり魅力なのだと思います。


ある有名な作家の方ががこんな事を言っていました。


「龍馬よりらシャアに学べ」。


亡きジオン・ダイクンの意思を受け継ぎ、自らの正義で世界を粛清しようとしたシャアという男の真の思いとは如何に。


次回、「何故、今ガンダムなのか?」の意味を真に綴りたいと思います。また、ガンダムから車へ完結するストーリーも書かせていただきたいと思います。


                         横浜山手 Valkyrie Archie G鈴木

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