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〜次期型GTRについて問う〜 パート2


3月も間もなく終わり、少しづつ暖かくなって来ましたね。桜も綺麗に咲いてます。

前回に続き、次期型GTRのパート2になりますが、今回は日産アンディ・パーマー副社長の言葉から発せらている「速さ」と「パフォーマンス」について触れていきたいと思います。


日産GTRは、基本的にマルチ・パフォーマンスカーと評しているだけに、どんなシチュエーションでもサーキットだろうが公道だろうが、いかんなく速さを発揮して来ました。


私の記憶ですが、2007年時にデビューした時の筑波サーキットは1分2秒台真ん中辺りを出していました。また、ドイツのニュルブルクリンク・オールドコースにおいては7分38秒。これは、当時のコースレコードを持つポルシェGT2の7分45秒を凌ぐ、驚異的なタイムだったと思います。


当時のこれらの一連の流れで、最も注目すべき点はタイムが「どのようなパッケージング」であったか?です。480馬力やリア・トランスアクスル、トルクステア等、当時としては様々なデバイスを搭載していた日産GTRですが、やはり一番は、あの車重によって速さは生み出されていた点でしょう。


スポーツカーの速さを追求していくときに特に大切な事は「パワー」と「軽さ」です。勿論、エアロダイナミクスやブレーキ等も大切な要素となりますが、逆に言えば、「重さ」はネガティブなものになってしまいます。


R35開発者、水野氏はこのネガティブな重さを利用し、フロントリア共に強烈なダウンフォースをつけ、タイヤによる摩擦グリップ係数を活かしなから設計をされていました。このPMパッケージは当時のニュルブルクリンクオールドコースのコースレコードを飾り、日本国内の筑波サーキットを始め、ありとあらゆるコースで最速タイムを塗り替えていきます。


2007年デビューからGTRに於ける筑波サーキットのタイムを見てみますと、毎年毎年、速さを増し、水野氏退陣後、GTRニスモの登場により、ようやく近年1分切りを果たすことになります。

この筑波サーキット1分切りという壁は、実はチューニングカーではかなり以前から達成出来ていました。市販車としては、非常に困難なレベルではあるものの、ニスモの素晴らしい努力と言えるでしょう。


しかし、もう一方の厳しい目からみれば、実際、デビューからの年数を考えても少しばかりタイムアップには時間がかかっているような気がします。

1分切りが、コンスタントにタイムとして出る訳ではなく、ギリギリ入るようなニュアンスなので、まだ現時点ではニスモと言えど、この先のタイム更新は難しいと思われます。

その最大の理由としては、GTRの重さを活かしたパッケージと考えられます。この車両は元々は、スポーツカーとしてはかなり重い部類に入るのてすが、その重量を活かし、タイヤに荷重グリップをかけ、トラクション性能を活かしています。

しかし、2014年からはスタンダードもニスモも少しづつ重量が上がってしまっており、またこの頃から日産がチームとしてニュルブルクリンクへ出向いてテストをする量が圧倒的に少なくなっているため、車の操縦性自体は毎年上がっているものの、思っている以上にタイムが伸びづらくなってしまっています。

雑誌、メディアでは、このような本質の部品ではまず書かれませんが、総合して分析してみますと、このような答えが導かれてきます。

「日産GTRの速さは、筑波サーキット1分前後の到達までは十分に可能であるが、車重の問題も兼ね、これ以上のタイム更新はPMパッケージでは、もう限界付近である」。

これは、筑波サーキットのみだけではなく、例えニュルブルクリンクであっても、現在の使用では7分を切るのは厳しいでしょう。

ポルシェGT2RSは、既に6分台に入っている事を考えると、GTRは大幅な軽量をしなければ無理と考えるのが適切ですが、実はこのPMパッケージは軽量に向けて開発をしても有効なパッケージではない所がいくつかの箇所から見ても感じられます。

次回パート3は、GTRはどのような方向性で舵を取るべきか?私なりの独自な解釈で、お伝え出来たらと思います。


横浜山手  Valkyrie Archie Ḡ鈴木

mail valkery.430@gmail.com

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