top of page

~忘れていた宝物~ 「ドッグファイター」

横浜山手、ヴァルキリー・アーチー、G鈴木です。今回は、車~レース~洋楽から、ちょっとかけ離れますが1980年代の少年達に大ブームだった「オフロードラジコン」についてお話ししたいと思います。



上記の写真の車両ですが、こちらは当時横堀模型(現ヨコモ)と言う新しい会社から発売されていました、YZ834B「ドッグファイター」です


時代は遡り、昭和になりますが、こちらはラジコンと言っても通常のラジコンとは違い、プラモデル制作ように自身の手でシャーシ、モーター、バッテリーと組み上げます。


ポリカーボネート製である透明のボディーも自分で塗装せねばなりません。 また、自分で組み上げた車両を当時の少年達は公園などに持ち込み、プロポと言うコントローラーを持って走らせていたような時代でした。

車体だけで2万弱、プロポは1万五千円前後、これにモーターやらバッテリーを組み上げますから数万円はかかるという、とても高価なものでしたね。 

このドッグファイタークラスとなりますとレースに出て、ラジコンを楽しむと色々方々は沢山いらっしゃいましたが、クラスも「ビギナー」から「エキスパート」、予選から本選まであり、かなり本格的なものであったと記憶しています。 オフロードサーキットレース最高潮「エキスパートクラス」程になりますと参戦している人は、殆どが大人。中にはメーカーのワークスチーム等も参戦していましたから、小学生が普通に出て勝てるものではありませんでした。


当時から田宮模型からオフロードラジコンは発売はされていましたが、レースとなるとやはり圧倒的に強いのは京商と言うメーカーです。

田宮製品では、とても京商勢には太刀打ち出来ず、京商スコーピオンが常に上位を独占するというような構図でした。


私も当時、横浜の上大岡にある西山オフロードサーキットにてレースに参戦しておりましたが、とにかく少年の日に見た本気の大人のレースは凄まじいものがありました。※間近で本気のデッドヒートを味わました。

「スコーピオン」、、ずっと欲しいなあと思っといましたが、ある時ラジコンマガジンと言う専門雑誌の最後のページに掲載されていましたのが、この「ドッグファイター」です。

黄色いボディーに未来型のシルエットを纏ったこの車には、何故だかとても魅力を感じた事を覚えています。 これまでに数台のラジコンは購入し、自身に取って最後のRCとなったドッグファイターですが、まだまだ当時は、この車のポテンシャルには私自身気付いておらず、さりげなくレースに出て、最後はラジコン熱は冷めてしまって行った記憶があります。

すでに思春期に入っていたからかもしれませんが、あれだけ熱中していたラジコンやプラモデルはいつの間にか、タンスの棚の中行きでしたね(誰にでもある事だと思います)。 それから数年がたち、当時の同級生達とプライベートで会うことがあり、たまたまラジコン等の思い出話しを懐かしさ含め、話した事がありまして。


実は、あのドッグファイター、、。


後に世界選手権優勝し、更なる新型「スーパードッグファイター」なるものまで本格投入し、レースで連戦練磨を成し遂げ、横堀模型自体もヨコモという会社名に改め、世界最強のラジコンカー、そして超一流メーカーになっていったそうです。


Facebook等の色々な車好きの方の投稿を拝見しますと、スーパーカーオーナーの方は特に大人になってからの宝物=少年時代に戻ったような気持ちで車を愛されているのが分かります。 一つのきっかけで、きちんと目標を持ち最後までやり遂げる大切さ。


当時まだ少年であった自分には、まだまだ分からない事でしたが、当時まだ無名であったヨコモさん(旧横堀模型)の多大なる努力があったからこそ、最高の結果に繋いで行ったと今、改めて思います。 自分にとっとは、長い間忘れていた「宝物」ですね。


閲覧数:7回0件のコメント

Comments


bottom of page